第三章 悠遠の誓い

1

 色褪せた風景。まるで、途方も無い時間放置された写真のような。私はそれを遠目に見ている。煉瓦作りの洋風な家、花畑を挟んで木造の一戸建てがある。時間は朝方だろうか? 太陽が広大な大地を照らしている。花畑の中にあるテーブルを囲み、若い男女が話をしている。はっきりと顔は見えないけれど、二人共半袖だ。犬が二人の足元を駆け回る。彼等は一様に嬉しそうだ。

 私は今夢を見ている。この光景を目にするのは、必ず夢の中だからだ。

 不思議な夢だ。こんな風景を私は、本や図鑑の中でも見た事が無い。そして、現在の世界でこの夢に出て来るような風景を見付ける事は不可能だ。

 私が歴史で学んだ限り、人間が半袖で外に出られたのは、三百年前が最後だ。当時、この星で気温が上昇する「温暖化」が起こり、各国が対策を急いでいた。しかし、人間が星をコントロール出来ると言う考え自体が傲慢だったのだ。温暖化を危惧する人間を嘲るように、この星は気温を急激に下げた。地殻変動と、大気組成の変化が原因だと言われているが、現在でも確実な事は解っていない。

 私が解るのは、目の前の現実だけだ。人間は地下深くで暮らすようになり、地上は何処へ行ってもマイナス二十度以下。この星は氷に閉ざされている。

 人が生きるのに最低限の暖房が効いた暗室、其処で彼女は目覚めた。彼女は、枕元にあるリモコンで照明を点ける。人工的な白い明かりが彼女を照らした。

 漆黒で艶やかな、肩の下まで伸びる髪が煌き、淡雪のように真っ白な肌が浮かび上がる。二十二歳の割には少女のようなあどけなさを残した、愛らしい容貌。目には、何処か儚さが浮かぶがその奥には、靭い光が宿っている。

 この部屋は彼女の部屋だ。見渡すと、殆どのものが白で統一されている事が解る。壁や天井、家具に至るまで。だからこそ、彼女を包む掛け布団の赤が目を惹く。

 彼女はスチールベッドから抜け出して、保温効果の高いパジャマの上に防寒具を羽織った。そして、木目柄のタイルの上を歩きドアを開ける。

「螢華(ほたる)、おはよう」

 リビング、ダイニング、キッチンを兼ねた部屋に居る、夫婦が彼女に声を掛けた。

「お父さん、お母さん、おはよう。顔洗ってくるね」

 螢華は微笑み、洗面所に向かう。数分後、洗顔を済ませ髪を梳かした彼女が戻って来た。彼女はテーブルを挟んで両親と向かいにある椅子に座る。

「頂きます」

「召し上がれ」

 朝食は、ご飯と味噌汁、卵だった。米も大豆も、地下の温室で栽培されたものだ。畑には、光ファイバーで取り込まれた太陽光が注がれている。地底で太陽光は貴重なものだ。畑や主要な場所以外には使えない。

「お父さん、地上の様子はどう?」

「相変わらずだ。毎日ブリザードが吹き荒れてる」

 やっぱりそうか、出来れば外に出て思いっ切り光を浴びたいのに。小さい頃、お父さんに一度だけ地上に連れて行って貰った事があるけど、あの時の眩しい光は今も忘れられない。航空・運輸会社に勤めて、頻繁に太陽を見られるお父さんが羨ましいな。

「螢華が地底から外に出たいのは解るけど、無茶は止めてね。治療するのは私なんだから」

「はぁい」

 お母さんは医者だ。この家は診療所も兼ねている。

「こうして元気に生活出来るだけ、ありがたいと思うんだぞ」

「うん、解ってる」

 この国の人間は幸せだ。何とか地下に移住出来たから。三百年前にこの星に氷期が訪れた時、生き残れたのは二割の人間だけだったらしい。その人間は、ある条件を満たす国で生活していた。一つは、地下に都市を造る技術を持っていた事、もう一つは地熱が豊富だった事だ。現在、世界で使われている電力エネルギーは、原子力発電と地熱発電によって賄われている。もし電力が無ければ、水を電気分解する事によって作り出す酸素の供給が止まり、地底の人間は死滅するだろう。

 螢華の父が会社に出掛け、制服を着た彼女も家を出た。目の前に広がるのは、途轍も無く巨大な空洞。見上げても果ては見えない。空洞内は光ファイバーで取り込まれた僅かな太陽光と、電灯によって照らされているのみで、空洞の最上部は闇だからだ。通路は、空洞の内壁に沿うように作られ、住居や各施設は内壁を掘削して作られている。

 螢華は上層に上がるエレベーターに乗り込んだ。大学に行く為である。

目次

2