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 舞苺に案内され、緋月は学校の近くにあるイタリアンの店に入った。美大の近くにあるだけあって、ハイセンスな店だ。入り口の扉は、格子状の木にステンドグラスが嵌め込まれたもので、複雑な色の光が店の中に射し込む。店内はやや暗く、暖色系の光を放つ硝子の電灯が僅かに揺れている。床、テーブル、椅子は使い込まれた木で作られており、洋風の食卓を髣髴(ほうふつ)とさせ、居心地が良い。

「なかなかいい店だな」

 素直な感想だ。俺が住んでいた地域には、こんなお洒落な店は数える程しか無かった。

「そうでしょう? 私のお気に入りなの」

 舞苺が口に手を当てて笑う。笑い方、佇まい、口調、どれを取っても彼女が良家の育ちである事が解る。緋月は少し落ち着かなくなり、メニューを手に取った。だが、見慣れないメニューが多く、結局緋月は舞苺のお勧めを注文した。

「迎居君って、もしかして一人暮らしなの?」

「ああ、どうして知ってるんだ?」

「この前、駅の近くにあるスーパーに寄ってるのを見たから」

 自分では意識していなくても、誰が何処で見ているか解らないものだな。

「自炊した方が安くつくし」

「へぇ……、凄い。一人で暮らして、食事も自分で作るのね。尊敬しちゃうわ。私なんて、ずっと実家から通ってるもの」

 それから、彼女は自分の事を話し始めた。幼稚園から高校まで、有名な私立に通っていたらしい。両親は実業家で、兄は絵の勉強をする為に海外に留学中。彼女自身も絵が好きで、幼少時代から著名な画家の指導を受けたと、矢継ぎ早に語った。

 俺の話を聞きに来たんじゃ無いのか? そう言いたかったが、我慢した。話が一段落して、ようやく黙ったかと思ったら、急に真剣な顔をする。

「迎居君のデッサンって、『動き』がいいわよね」

 緋月は一瞬目を見開いた。自分が絵を描く際に一番心掛けている事を、たった一言で言い当てられたからだ。

「解るのか?」

「うん、だって絵に描かれたものが今にも動き出しそうじゃない。先生は、生々しいとか魂が宿ってるとか言ってたけど、迎居君の絵の一番凄い所は『動き』よ」

 驚いた。物も人間も、完全に静止しているものは無い。物は一見止まっているように見えるが、不滅でも不動でも無い。だから俺は動きを重視するんだ。さっきまで、余計なお喋りばかりしていたお嬢様なのに、見直した。

「人にそれを指摘されたのは初めてだよ。澄川さんのデッサンも是非見たい」

「勿論! と言いたい所だけど、迎居君に見せるのだけは恥ずかしいわ。私、あの学校で自分以外の人が描く絵は落書きだと思ってたけど、迎居君の絵に比べたら私の絵が落書きに見えるから」

 舞苺は右手の細い指に、髪の毛をくるくると巻き付けた。頬が僅かに紅潮している。緋月は、上目遣いの舞苺と目が合った。

「否、どっちみち講義で見る機会があるから、その時見せて貰うよ。澄川さんの感性で描かれたものが、どんなものか知りたい」

 緋月は鼓動が早まっているのに気付いていた。それが、芸術を語り合える仲間が出来た事による高揚感から来るのか、舞苺自身の魅力の所為なのかは解らない。だが、緋月は珍しく饒舌(じょうぜつ)だった。料理が来ても、絵についての話を止めない。舞苺もそれに応えて、今まで絵や芸術について考えていた事を吐露する。

 いつの間にか二時間が過ぎていた。緋月は時間の経過に気付いていなかったが、舞苺は緋月が嘘を吐いている事を初めから気付いていたので何も言わない。

 緋月がようやく時間に気付いたのは、更に一時間後の午後八時ぐらいになってからだった。いつの間にか店は満席で騒がしく、通常の声の大きさで話すのが困難になったからだ。

「あ、長々と話し込んでごめん」

「ううん、楽しかった。ありがとう」

 二人は勘定を済ませ表に出る。街灯と商店の光が街を包んでいる。すっかり夜の街だった。用事があると言っていた事を思い出し、緋月は頭を掻く。

 絵についての想いが似た人と話すのが、これ程楽しいとはな。それはそうと、話し過ぎて遅くなったのは俺の所為だ。夜道を一人で帰すのは気が引ける。

「時間も遅いし、駅まで送るよ」

「迎居君、家は駅とは反対でしょう。一人で帰れるから心配しないで」

 舞苺がニコッと微笑む。緋月は頭を掻いた後、ジーンズのポケットに手を突っ込んだ。

「それじゃあ、気を付けて帰れよ」

「迎居君、私を送らない代わりに、携帯の番号とアドレスを教えて欲しいな」

 それが狙いだったのか? 否、考え過ぎか。この子は、我が強く自分の意見は曲げないが、悪い子では無い。連絡先を教えた所で、俺は別に何も困らないだろう。

「OK」

 緋月と舞苺は、連絡先を交換して別れた。別れて数分も経たない内に、緋月の携帯にメールが届く。

「今日は楽しかった。またメールするね」

 緋月は歩きながら返信を返そうとしたが、途中で文章を破棄して携帯を閉じた。

 空に、皓々と輝く月が昇っている。

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