11
十二月三日から、緋月の会社に中途採用の人間が来る事になった。社長が先週面接をして、直ぐに採用を決めたらしい。即戦力との事だ。
緋月はデスクでコーヒーを飲みながら、黒のトレーナーの左袖を捲くり、舞苺に貰った腕時計を見る。午前八時二十分。会社に居るのは、徹夜しているプログラマーと八時に出社した緋月だけだ。緋月は、初日以外はスーツを着ていない。この会社でスーツを着る必要があるのは、社長と営業のみで、他の社員は普段着で良い。
あの人が今日からこの会社に来るんだな。
緋月は、先週面接に来た男を思い出していた。自分とほぼ同じぐらいの若さなのに、はっきりとした大きな声で丁寧に挨拶をされた。その声には、何処か自信が漲(みなぎ)っており長年仕事をやってきた証のように思えた。短い髪と、がっしりした体がその印象を更に際立たせている。
始業時間になり、朝礼で社長が今日から働く男を紹介した。光水(こうみ) 真(しん)という名らしい。高校を卒業してから直ぐに働き始めたので、現在仕事は二年目との事だ。社長は、「皆、仲良くしてやって欲しい」と言った後、光水に自己紹介するよう促す。
真は一歩前に出て、自信に満ちた顔で息を吸い込んだ。
「光水 真です! 二十歳にして、妻と二歳の子供が居ます。ですが、今までにそれを後悔した事は一度もありません! これから、全身全霊を込めて、皆様と一緒に仕事をさせて頂きますので、宜しくお願いします!」
この人、俺と一つしか違わないのに、凄いな……。自分の人生を完全に肯定し、後ろ向きな所が一切無い。高校の頃に奥さんの妊娠が解り、結婚して働く事を選んだが何も後悔していないと彼は断言しているのだ。
真は、緋月の横に座る事になった。年齢も近くて話も合うだろうし、仕事上では真の方が上だから、緋月を育てるのにも丁度良いと社長が判断したからだ。
「迎居さん、今日から隣で仕事をさせて頂きますので、どうぞ宜しくお願いします!」
真が手を差し伸べたので、緋月も手を伸ばし握手をした。その後、緋月は頭を掻く。
「光水さん、敬語はいいですよ。僕の方が年下ですし、キャリアも積んでいないので」
緋月の言葉に感激したのか、真は大袈裟に何度も頷いて笑みを見せた。
「了解、じゃあ迎居さんも敬語は無しでお願いします」
「は、はい」
二人は顔を見合わせて笑う。午前中はまだ敬語が抜けていなかったが、昼食を食べに行ってからは、自然に話をするようになった。
真は社長の想像以上に仕事が出来た。五年のキャリアを持つ先輩と並べても遜色が無い。企画、デザイン、パソコンの操作は勿論の事、プログラミングにも精通している。緋月は彼から良い刺激を受け、より仕事に励むようになった。
プライベートでも、緋月は真と交流を持つようになる。仕事の後二人で食事をしたり、休日に買い物に出掛ける事もあった。
真が来て三週間程が過ぎ、昼休みに二人で定食屋に入った時に、緋月は真に尋ねる。
「なあ真、俺も一年後にはお前ぐらい仕事が出来るようになるかな?」
「ああ、緋月なら半年もすれば俺に追いつくな。デザインに関しては、この会社で一番才能があるのは緋月だ」
「そうかな。皆凄いから、俺は追いつける気がしないよ。それより、何でそれだけの技術がありながら、前の会社を辞めたんだ?」
それが謎だった。この会社は、決して給与が良い訳では無い。生きていくのには困らないが、真が前に居た会社は大手の会社で待遇も良かった筈だ。
「遠方に転勤させられそうになったんだ。新しく支店を作るからって。でも、嫁の実家はこっちにあるから、こっちの方が子育てしやすい。単身赴任という手もあるけど、子供が寂しがるだろ? 転勤は絶対ですかって訊いたら、そうだって言われたから、辞めた」
家族が一番大事って事か。子供にとっては、給料よりも一緒に居てくれる時間の方が大切だからな。でも、この会社は帰れない程忙しい事が多い。
「なるほどな。お前がそれだけ仕事が出来る理由が解った気がする。早く帰る為には、短時間で人よりも仕事をこなさないといけない。それの積み重ねで、お前は成長したんだな」
緋月が真の背中を叩くと、真も同じように緋月の背中を叩いた。
「ご名答! じゃあ俺からも言わせて貰うぜ。緋月が俺に追いつくって言ったのは、お前は俺に似てるからだ。お前は、常に自分を高めようとしてる。否、表現が違うな。高める事に明確な目的があるんだ。俺が早く帰りたいように」
真は大雑把なように見えて、誰よりも鋭い。人の内面を、たった一言で表してしまうのだ。俺が自分を高める目的……
緋月は言葉を失った。幾ら真と仲が良いとは言え、雪那の事を吐露するのは躊躇(ためら)われた。その様子を見た真は、また緋月の背中を叩く。
「今度、家に遊びに来いよ! 俺の自慢の息子を見せてやるから」
「ああ、行かせて貰うよ」
真は、踏み越えてはいけない線は絶対に越えない。だから、彼と居ると居心地が良い。だが真にはいずれ話そう。俺が抱えている全てを。
真は、きっと俺にとって初めての親友だ。