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 午後一時。緋月と雪那は帰宅後、軽く昼食を済ませ、制服のまま向日葵畑に来た。雪那の家、つまり陽草家(ひぐさけ)が所有するこの土地は一辺が百mの正方形で、畑の中心には大型の黒いガーデンパラソルがある。パラソルの下には、円形のテーブルと四脚の椅子が並び、二人はいつも向かい合うように座るのだ。テーブルと椅子は揃いのもので、自然な茶褐色で塗装されたチーク材で作られている。

「ワンッ」

 クリーム色をした、雄のミニチュアダックスフンドの柊(ひいらぎ)が、緋月の膝に飛び乗る。柊は、緋月が小学校一年生のクリスマスイヴに生まれ、翌年の二月に迎居家にやって来た。

「こら柊、邪魔するなよ」

 向日葵畑の油絵を描く緋月は、柊を突っ突くが彼はびくともしない。まるで、其処に自分が居るのが当然と言う誇らしげな顔だ。

「まあまあ、膝に乗ってても絵は描けるでしょ?」

 確かにそうだ。でも、重いし集中力が途切れる。否(いや)、この程度で途切れるようじゃ駄目だな。心を無にするんだ。

 緋月は一旦目をきつく閉じた後、勢い良く目を開き、筆を走らせる。その様子を見て、雪那はフルートを吹き始めた。緋月は美大、雪那は音大を目指している。どちらの大学も都会にあり、大学同士は近い。二人共合格すれば、都会で下宿し頻繁に会う事が出来る。それもあって、二人は今までに無く真剣だった。

「また、あのお墓と向日葵を描いてるの?」

 雪那が首を傾げながら、緋月の絵を覗き込む。彼は、絵から目を離さずに頷いた。

「ああ。真っ白な墓と、背後に広がる向日葵畑。いい構図じゃないか」

 本当にそう思う。このテーブルから少し離れた所にある、純白の石で出来た墓標らしきものは酷く神秘的で、黄金色の向日葵とのコントラストが素晴らしい。雪那もこの墓標が好きで、子供の頃から飽きもせずに二人で眺めたものだ。

「うん。それにしても、緋月の絵は日を追う毎に上手くなるね」

 雪那の長い髪が緋月の首に触れ、彼は雪那の方を向いた。濁りの無い彼女の澄んだ瞳を直視して、彼は思わず目を背ける。

「そうか? 雪那の演奏も、最近気合が入ってるな」

 志望大学を決めた頃からだ。雪那の演奏が変わったのは。彼女の父親は中学校の音楽教師で、彼女は物心付いた頃から音楽の教育を受けていた。雪那は、ピアノとフルートが得意で、両方共全国規模のコンクールで受賞した事がある。元々演奏は上手いのに、最近の演奏は更に磨きが掛かっているのだ。彼女が音大に行くと言い出したのは、去年の冬、正確には俺が美大に行くと決めた直後だ。

「そんな事ないよぉ。それより緋月、私の絵はまだ描いてくれないの?」

 雪那が甘えた声を出しながら、俺の肩を揉む。だがそんな事で俺の意思は変わらない。

「まだ駄目だって。雪那の絵を描くのは、俺が自分で満足出来る技量に達してからって、何度も言ってるだろ?」

「初めにお願いしてから、もう十年も経つのにー。緋月が満足出来る技量ってどれぐらいなの? 小学校で金賞取っても駄目、地方のコンクールに入賞しても駄目、高校生のコンクールで大賞取ったのに駄目なんでしょ? プロになったら描いてくれるの?」

 駄目なんだ。雪那を描くなら、自分の中で最高の絵を描きたい。人生でこれ一枚しか描けないと言い切れる程のものじゃなきゃ、意味が無いんだ。

「まだまだ、先になりそうだ。でも絶対に描くから、心配するなよ」

 緋月がそう告げると、雪那は緋月の肩を持ったまま、がっくりと大袈裟に座り込んだ。制服のスカートの端に、乾いた土が付く。彼女はそれを掃って、再びテーブルの上に置いていたフルートを手に取った。

 向日葵畑の近くには殆ど車は通らず、また歩いている人間も少ない。熱を帯びた風が吹き抜ける音と、二人と一匹の呼吸、そして雪那のフルートの音色が、此処で聴こえる音の全てだ。この世界には彼等しか居ない、そう見えても不思議では無い。

 空は何処までも高く、果ては見えない。時折流れて来る雲が向日葵に影を落とし、一陣の風が無数の花弁を揺らす。その様子は、まるで向日葵が一つの意思を持った大いなる生物であるかのようだった。

 午後三時に雪那が家から紅茶とクッキーを持って来たので、緋月は一緒に休憩する事にした。始終、柊がクッキーを欲しがってジャンプを繰り返していたが、健康に悪い為二人は彼に一欠片(ひとかけら)しかあげなかった。

 日が傾き、黄金色の向日葵が夕紅に染まり始めると、二人は雪那の家に向かった。この後は、専門科目以外の勉強である。

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