第八節 血脈
部屋全体が巨大な生物の体内のようだ。その中央に佇む一人の少年、身長は私よりも十cm程低く、顔には幼さが残っている。小柄で華奢、耳の辺りまで伸びた黒銀の髪が僅かな風に靡く。私よりも僅かに黒い肌で、背中には漆黒の翼。そして真紅の瞳。
「随分遅かったね」
少年の眼光が私を射抜く。少年特有の高い声でのんびり話しているのに、その目には凄まじい殺意が宿っており、私は呼吸する事さえも忘れそうになった。
「お前は……、何者だ?」
「僕は、フィアレス・ジ・エファサタン。ルナリート、ようやく会えたね」
微笑みながら私に近付いて来る。だが目は笑っていない。私は一歩後退した。
「確かに私はルナリートだ。私はお前に用は無い。獄王に会わせてくれないか?」
「『お父さん』には会えないよ。僕を倒さないとね」
この少年は獄王の息子! 道理で震えが止まらない訳だ。
「僕はこの前やっと千五百歳になって、天使や『君』と戦う許可を貰ったばかりなんだ。僕は自分の力を試したくて! 獄界の皆じゃ、僕の相手は務まらないからね。これは君の剣でしょ? 返すよ」
フィアレスが何も無い空間に手を伸ばし、剣を出す。紛れも無い、オリハルコンの剣だ。
「一体どういうつもりだ?」
こちらに放り投げられた剣を受け取り、私はいつでも動けるよう身構える。
「だから、僕は君と戦いたいんだよ! 僕と対等に戦えるのは、君だけだからね」
少年が今度は、空間から何の光も反射しない「黒の剣」を出す。禍々(まがまが)しく歪んだ剣!
「あー……。ゾクゾクするなぁ。僕は君を殺す気で行くから、君も本気を出してね!」
迅い! 何処だ、見えない。後ろ?
「キンッ!」
後ろに振った剣が、奴の剣に当たる音が響く! それが聴こえた瞬間に、奴は私の正面に移動していた。何と言う移動速度、今の私でも目で追い切れない!
「へぇ、今のを防ぐなんて。普通の魔ならあれで一撃なのに。そろそろ、本気で行くよ!」
こちらも殺す気で戦わなければ、確実に殺される。
「キンッ! キンッ……!」
フロアに響き渡る剣の衝突音、私は奴の攻撃を防ぐのでやっとだ。反撃の隙は無い。
「これでどうだ、『獄闇』!」
リウォルでシェイドが用いた究極魔術か? 否、別物だ。密度が違い過ぎる! 部屋全体が闇に染まり、周りから私を押し潰そうとする。私は咄嗟に「光膜」を発動させた。
「ジジジ……!」
光膜が消えそうな程の圧力! 私は膜の維持に全力を注ぎ込む。
「(危ない!)」
リバレスの声、何事だ? 黒刃! 気付いた時には、光膜に刃が突き立てられていた! 膜が破れ、刃が私の左肩に刺さる。迸(ほとばし)る鮮血! 私は何とか奴の剣を薙ぎ払った。
「(ルナ! 大丈夫?)」
左手で肩を押さえ、治癒の神術で傷口を塞ぐ。右手では剣を持ち、切っ先をフィアレスに向ける。傷口は閉じても、筋繊維の修復には時間がかかりそうだ。
「はぁ……、はぁ」
必然的に呼吸が荒くなる。回復の為に少しでも時間を稼ぎたい。しかし……
「エファロードって、この程度? 僕を失望させないでくれよ!」
フィアレスは、容赦無く甚振(いたぶ)るように無数の斬撃を浴びせて来る! 私は、斬撃が致命傷にならないようにするのが精一杯だ。体の至る所から血が噴き出す。
「うーん……、僕は、『愛』ってよく解らないけどそんなに大事なの?」
フィアレスは、余裕で腕組しながら可笑しそうに笑う。
「当たり前だ。お前みたいな、『子供』には解らないさ」
「僕を子供扱いするな! 要は、あの魂が君にはとても大切なんだね。それなら君を殺した後僕が貰ってあげるよ!」
「彼女の魂は、「物」じゃ無い! それに、彼女は私の手で解放される」
私は両手でしっかりと剣を握り、奴の眼前に突き出した。
「こんなに力の差があるのに、どうやって? 面白い事を言うね」
一瞬の油断、私はすかさず渾身の力で蹴りを放った。蹴りは奴の腹部に炸裂する!
「うぐっ……!」
フィアレスは後ろに吹っ飛び、翼でブレーキをかけた。上手くダメージを軽減している。
「ふぅ……。今のは驚いたよ。油断したらダメだね」
私は翼を開き宙に浮く。長期戦は不利だ、一気に片を付ける!
「高等神術『滅炎雨獄』!」
「高等魔術『獄炎』!」
互いの炎がフロアに充満し、呼吸するだけで喉が焼けそうだ。赤と黒の炎、逃げ場は何処にも無い。
「行くぞ!」
「来い!」
私達は炎で体が焦がされるのを無視し、激しい剣戟(けんげき)を繰り広げた。剣から火花が散る。
「究極神術『神光』!」
「禁断魔術『死闇』!」
炎、光、闇が渦を巻く。刹那(せつな)でも気を抜けば、死に追い遣られるだろう。
「(何て戦いなのー……)」
リバレスが呟く。それもその筈だ。間違い無くこの戦いは、この星で最高レベルの戦い。
「くっ! エファロード、やるじゃないか。スピードも力も、どんどん上がってる」
「お前こそ! 恐ろしい奴だ。だが、私はフィーネに約束したんだ!」
フィアレスの体が僅かにバランスを崩した。私は其処に、自分の腕が折れる程の剣撃を叩き込む! 奴は地面に落ちた。勝機!
「禁断神術、『滅』!」
直径十m程の、「無」の空間が、フィアレスを飲み込む。
「僕は負けない!」
フィアレスは消えた。勝ったのか? 滅は壁や床、更には光も闇も呑み込み消失した。
「危なかったよ……、今のは。君の指輪に記憶されていた『転送』の神術で、自分を飛ばさなければ死んでいた」
しぶとい奴だ。だがフィアレスは右肩から先を失い、顔からは血の気が引いている。
「早くも利用されてる訳だ……。だがもう勝負はあっただろう?」
奴の首には、ペンダントのトップとして、私の指輪が吊り下げられていた。
「僕は、誇り高き王子! こんな所で逃げる訳にはいかない!」
流石は獄王の息子。左手一本で剣を取り、私に向ける。
「此処を通してくれないならば、戦うしか無いな」
私は剣を強く握る。そしてフィアレスに歩み寄ると、部屋が急に暗くなった。
「待つのだ、フィアレスよ! 『今回は』大人しく負けを認めるのだ。お前は此処で死んではならぬ!」
獄王の声。子供を案じぬ親は居ない……、か。
「はい、お父さん。悔しいけれど……、今回は僕の負けです。エファロード、君は今からお父さんに殺される。だから、お父さんの跡を継ぐ僕が最強だ」
私は最強の座など要らない。フィーネさえ戻ってくれば。
部屋が明るくなる。其処にフィアレスの姿は無く、血痕(けっこん)の中に鍵だけが転がっていた。
「ルナー、次が……」
元の姿に戻り、目に涙を浮かべるリバレス。不安と心配が宿る双眸(そうぼう)。私は静かに頷き、上層への階段を上り始めた。唯、フィーネと誓った、永遠の心を抱き締めながら。
「ドクン、ドクン……」
鼓動が際限無く早まる。目の前には見上げる程の高さの、黒オリハルコンで出来た扉。規則正しく十字架の文様が並び、十字架のクロスする部分には宝石があしらわれている。
恐怖と、「懐旧」の情が溢れる。この扉も、「私」は知っている。
「リバレス、行くぞ!」
「オッケーです!」
彼女は私の周りを舞い、指輪に変化した。
「ギィィ……」と、重々しく扉が地面を擦る音が響く。