第三十五節 無音の狂奏曲

 ジュディアがフィーネを連れ去った数分後、ルナ達は動けるようになった。ハルメスは即座にルナとリバレスと共に、遺跡のある島へ「転送」で移動した。だがハルメスは、長時間フィグリルを離れる事は出来ない。

「ルナ、俺はフィグリルに戻るが、お前は必ずフィーネさんを連れて帰って来いよ」

「はい、勿論です! リバレス、行くぞ」

「了解!」

 ルナがリバレスを肩に乗せ、遺跡の入り口へ駆け出す。

「ルナ! 愛する人を失う事は、自分が死ぬより辛い。今のジュディアの力を侮るな」

 兄さんの真剣な声。重みのある言葉だ。私は振り向き、強く頷いた。今フィーネを失うなんて、私には考えられない!

 

 遺跡は間違い無く天界の古代建築で、大理石で構成されているが、途方も無い年月の経過により表面が風化している。地上から見ると普通の家屋程の小さな遺跡だが、入り口をくぐると長い階段が地下に伸びている。地下には広大な空間があるらしい。遺跡内に明かりは無く、足元は愚か目の前の壁すらも見えない。ルナは、神術で炎を作り前方を照らしながら歩く事にした。

 無音の遺跡。聞こえるのは自分の足音とリバレスの息遣いだけだ。何て長い階段、まるで地の底に向かっているようだ。私は、躓(つまづ)かないギリギリの速度で階段を駆け下りる。

「あっ、あれは何なのー?」

 階段が途切れ、地下一階と思(おぼ)しき部屋に到着した時だった。部屋の中央が赤色に光っている。私達がそれに近付くと、その光は強さを増した。

「赤い輝水晶で造られた壇だな」

「壇の正面に、何か文字が書いてあるわよー」

 リバレスが指差す先を見る。兄さんの言う通り、リウォルタワーより古い文字。天界で古代語辞典を暗記した私でも、完全には読み解けない。今はフィーネを捜す為一秒でも惜しいが、読んでおいた方が良いような気がした。

「この遺跡……、始まりは中界と共に」

 まさか! この遺跡は二十億年前から存在すると言うのか。そんな時が経過しているなら、遺跡は崩れ去る筈だ。否、壁や床をよく見ると、表面が神術で保護されているのが解る。仮に二十億年間この遺跡が維持されて来たなら、此処は天界にとって非常に重要な場所なのだろう。

「随分古いのねー。急がないといけないけど、この先にも壇があるなら見た方がいいかも」

 リバレスも私と同じ事を考えている。私は頷き、更に下層へ続く階段を駆け下りる。

「フィーネ、無事で居てくれ!」

 私は祈るように声を上げた。遺跡内に不安げな自分の声が反響する。

 地下二階、其処にはさっきと同様、中央に輝水晶の壇がある。だが色は「橙色(だいだいいろ)」だ。それにしても、これ程輝水晶を多用するのはどう言う事だろう。輝水晶は天界でも非常に貴重な石だ。なのに、この遺跡には巨大な輝水晶が幾つも安置されている。恐らく……、その答えは壇に刻まれているだろう。私は、壇の正面に立つ。

「この遺跡は……、冥界……、封印」

 ハルメスさんの元に届いた銘板の破片に類似した内容。その文句と古代文字を完全に記憶し、私達は更に下層へと下りる。

「キャー!」

 地下三階に先に着いたリバレスが叫ぶ。私は、階段を十段一気に飛び降りた。

「死骸か! 低級魔らしき者が二十体」

 黄色の輝水晶の壇を囲むように、氷付けの魔。これが意味する事は……

「ジュディアが殺したのねー……」

 間違い無い。部屋には傷付けず、魔のみを殺す完全な神術。ジュディアは此処を通り、下層へ向かったのだ。私は壇にさっと目を通す。

「機構は……、最深部……、エネルギー」

 意味が解らない。だがこの先には、少なくとも四つの壇がある筈だ。今まで目にした赤、橙、黄、これは虹色の並び。先の壇を読めば何か解るかも知れない。

 地下四階は、案の定緑色の壇だった。

「エネルギー……、源」

 それしか解読出来ない。私達は更に地下へ下る。既に、地下百mは越えただろう。地下五階の青の輝水晶には、こう書かれていた。

「起動は……、一万の……、人間」

 この遺跡には、冥界の塔に関連した何らかの機構がある。私はそう確信した。それには、エネルギーが必要であり、人間も関係する。

 地下六階は藍色の壇。次の階層が最後……

「虹の祭壇……、捧げよ」

 捧げる? 私の額に冷や汗が流れる。冷涼(れいりょう)な遺跡の温度が更に下降した気がした。もしジュディアが、この遺跡の「意味」を予(あらかじ)め知っていたとしたら。

 私は剣を抜き、ゆっくりと階段を下る。だが地下七階にも人影は無かった。それどころか、この部屋から地下へ下りる階段も無い。見回しても壇と壁だけだ。

「ジュディア、居ないわねー」

 念の為、部屋の天井付近を探索したリバレスが肩の上に戻って来る。私は、取り敢えず壇の文字を読む事にした。

「生(い)け贄(にえ)は……魂!」

 フィーネの身が危ない! 私が紫の壇を叩くと、壇はゆっくりと右にスライドした。隠し階段か。下を覗き込んだその時、階下から声が響く。

「ルナさぁん……!」

 一番大切な人の声、無事なようだ。私は剣に精神力を込め、最後の階段を駆け下りた。

 七色に輝く虹の輝水晶で造られた壇、その上にフィーネは仰向(あおむ)けに拘束されていた。彼女が動かせるのは、頭から上だけだ。フィーネと私の間にはジュディアが立ち塞がる。

「フィーネ!」

 彼女の瞳がこちらを見詰める。その双眸に宿るのは恐怖。一体どんな目に遭ったんだ?

「ルナさん……、危険だから逃げて!」

 私は彼女に近付く為、一歩踏み出す。だが直ぐにジュディアがそれを制する。

「ルナにしては随分遅かったわね。でもいいわ。お陰で準備は整ったから」

 優越感に満ちた冷笑。私は怒りの余り、剣を彼女の首元に突き付けた。

「準備などどうでもいい。フィーネを解放しろ!」

「ふぅ……、そんなに焦らないでよ。私は、あなたに協力しようとしてるだけなのに」

「協力って何よー?」

 リバレスの言葉で、彼女の顔に更なる冷酷さが滲み出す。何を考えている?

「そう、協力よ。知ってる? この遺跡の意味を」

「……この遺跡には、冥界の塔を封じる機構が備わっている?」

「フフ、この遺跡自体が『機構』なのよ。それで、そのエネルギー源は何なのか解る?」

 彼女の口元が綻(ほころ)ぶ。場に不釣合いな、満面の笑顔。気味が悪い……

「まさか……、本当に『人間の魂』なのか!」

「その通り! この遺跡、即ち封印機構を作動させるには、一万人分の魂が必要なの」

 ジュディアが杖を掲げる。私は更に剣に力を込めた。彼女の首から一筋の血が流れる。

「お前はフィーネを生け贄にするつもりか!」

 体の奥底から力が溢れてくる。前髪が銀色に変わった。

「ルナ、話は最後まで聞く物よ」

 彼女の杖が光る! その瞬間、私の体は動かなくなった。力の増幅まで停止している。

「究極神術『不動』を貴方にかけたわ。貴方は、指先を一mm動かす事も出来ない。同時に体の変化も停止させた。今の私じゃ、それ以上力の増えたルナは相手に出来ないから。でも安心してね、口だけは動かせるようにしたから」

「ふざけるのはいい加減にしろ……」

「まぁ、結論から言えばこの娘は名誉ある『生け贄第一号』って事になるわね。最近、魔の進行が激しいのは貴方もよく知っているでしょう? このまま行けば、天界まで侵略される恐れもあるの。だから私は『仕方無く』人間を殺す事にした。貴方を惑わすこの女が消えて、貴方は魔と戦う必要が無くなる。一石二鳥じゃない」

 人間の、フィーネの命などこいつは何とも思っていない。早く動け、私の体よ!

「人間の命の重みは天使と同じだ。それにお前がフィーネを殺したら、私がお前を殺す」

「私を殺す? とうとうそんな世迷言を! 貴方は最高の天使なのにも関わらず、下等な人間に情を抱いた。許せない! どうしてこの女に拘(こだわ)るの? 私が居るのに。何故、下らない人間の為に命を懸けるの? 人間なんて、天界の塵(ごみ)に過ぎないのに!」

 感情を剥(む)き出しにして、私の服を掴むジュディア。彼女の目からは涙が零れ落ちている。

「お前の高慢な心では、生涯理解出来はしないさ……」

 私は呼吸するのも苦しいが、そう言い放った。彼女は顔を蒼白にして、一歩後退る。

「ジュディアー! もう止めて」

「『蝶』は黙りなさい!」

 頼みの綱のリバレスまで地に落ちる。どうしても……、この体が動かない!

「もう直ぐ、貴方を呪縛から解放してあげるわ。私が人間を一万人殺せば、貴方は私の元に戻って来る。そうよね? フフ……。そろそろ終わりよ、汚らわしい女」

 ジュディアは本気だ。彼女の杖に途轍(とてつ)もない力が集約されている。これは「魂砕断(こんさいだん)」!

「待ってくれ! 殺すなら私を殺せ。フィーネは助けてやってくれ!」

 有りっ丈の声で彼女に訴える。だが彼女は、自分の妄想に囚われ聞く耳を持たない。

「……いいんですよ、ルナさん。私が悪かったんです。天使のあなたに、無理なお願いばっかりして……。さぁジュディアさん、私を殺して下さい。それで、ルナさんを許してあげて下さい!」

 フィーネが涙を流しながら私に微笑む。最後まで、私の前では笑顔で居たい、そんな想いが彼女から伝わって来る。私の目からも涙が止(と)め処(ど)なく溢れ出した。

「人間如きが気安く名前を呼ぶんじゃないわよ! ルナ、貴方は馬鹿だわ。人間の女なんかに想いを寄せるなんて。私はずっと、ずっと……、あなたの事を愛していたのに、受け入れてくれなかった」

「……お前には悪いが、私はフィーネを愛してる。これからは私の事など相手にしなくていい、忘れてくれてもいい! だから、もう邪魔しないでくれ!」

 ジュディアの杖から、「魂砕断」の力が失われる。解ってくれたのか?

「決めた……。この娘を殺すのは止めにする」

「……本当か?」

 彼女は頷き、高らかに笑い出す。そして、フィーネの方を向いた。

「獄界に堕(お)としてやるわ!」

 フィーネの魂を獄界へ送る気か! 魂砕断よりも酷い。堕ちた魂は、獄界で切り刻まれ、汚され、破壊されるんだぞ! ジュディアが、漆黒の剣をフィーネの胸の上に呼び出す。彼女は本気だ!

「殺すのよりも、ずっと酷いじゃないのー!」

「止めろぉぉ……!」

 私達の声でジュディアは振り向いた。其処には形容し難い、狂気・の・滲んだ・笑顔。

「禁断神術『堕獄(だごく)』!」

 禁じられし神術の刃が、フィーネの胸を貫く!

「ルナさぁぁ……ん!」

 私は目を閉じる事も出来ず、唯、肉体から魂を剥(は)ぎ取る刃が、最愛の人に突き立てられるのを見るしか無かった。心が音も無く崩れ……、狂奏曲を奏で始める。

「いい気味ね。これで正気に戻ったでしょ。ルナ?」

「……ジュディア、貴様に解るか? 私の心が!」

 私が壊れ、再び「私」が私を支配し始める。呼吸が際限無く早まる。

「さぁ……、解らないわね」

 愛情、憎悪、喜悦(きえつ)、悲嘆、希望、絶望……、あらゆる感情が瀑布(ばくふ)となり、心の中で荒れ狂っている。体が熱い、心が熱い。燃えてしまう……!

 ルナの体に異変が生じた。髪は銀色、目は真紅、背には光の翼。彼は目を見開き、ジュディアの神術を解除して歩き始める。部屋の温度が急激に上がり、暴風が吹き荒れる。

「な……、何なの?」

 ジュディアが震えながら杖をルナに向ける。だが彼は、動く事も無く瞬時に杖を折った。

「其処をどけ」

「嫌よ!」

 ジュディアは両手を広げ、ルナの歩みを止めようと試みる。ルナはジュディアを睨んだ。

「それならば死ぬがいい。私は全てを超越する者、『エファロード』。私の邪魔をする者は、全て滅ぼし尽くす!」

 制御出来ない「私」が喋る。だが構わない、フィーネを救う為なら!

「(ルナー……。何て怒り、憎しみなの。此処に居るだけで焼き尽くされそう)」

 リバレスの心の声が届く。どうやら今の「私」は、他人の意識を読む力もあるらしい。

「私は本気よ! 絶対に行かせない」

「愚かな。力の差も見抜けぬ下衆(げす)め、覚悟するがいい」

 ジュディアが様々な神術で私に攻撃する。だがそれらは、全て私に届く前に消えた。

「これは、エファロードのみが使える神術だ。『滅(めつ)(ruin)』!」

 目の前に、直径三m程の『無』の空間が現れる。凄まじい力、この『無』は触れたもの全てを飲み込み消滅させるだろう。後には、破片は愚か空気すら残らない。

 放たれた無はジュディアの右肩と翼を抉り取った。それでも無は消えず、神術で保護された壁に穴を開け遥か彼方まで進んだ後消えた。

「クッ……、絶対に後悔する事になるわよ。どうせ、二百年後には……」

 ジュディアは血塗(ちまみ)れの肩を押さえながらそう言い残し、「転送」で消えた。

 意識が、「私」から私に戻って来る。

「フィーネ!」

 私は、血を吐き目を閉じているフィーネの手を取った。

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第三十六節