第二十六節 光翼

 空には限り無く新月に近い、細月が浮かぶ。薄い月光と、星明りが塔の屋上を照らしている。ルナは、屋上への扉を蹴破った。

「遅かったでは無いか」

 屋上が揺れる程の重低音。声の主は、闇よりも深い漆黒の巨影。そして脇に佇(たたず)む細い影。

「死にたくなければ、直ぐにその兵器から退け!」

 巨大な魔と先刻の女が、屋上中央にあるS.U.Nブラスターの前に立っている。私は剣の切っ先を向けた。

「グハハハ! エファロードがその程度の力。お前の報告通りだな!」

 薄気味悪い嘲笑(ちょうしょう)。何が可笑しい?

「そうでしょうぅ! あれは、唯の愚かな堕天使なんですよぉぉ!」

「ハハハハ……!」

 退く気が無いなら、後悔させてやる。私は精神を集中した。

「高等神術、『光刃(こうじん)』!」

 無数の光の剣が空間に現れ、巨大な魔を切り裂く! 手応え有り。だが……

「何だ? この玩具(がんぐ)のような剣は。この程度では、我が僕(しもべ)は倒せても、この『シェイド様』には傷一つ付けられんぞ!」

 シェイドの全身から、紅蓮(ぐれん)の炎が上がる。はっきりと姿を確認出来た。身長は三mばかり、横幅も二m位はある。体は鱗(うろこ)のような固い皮膚で覆われており、至る所から剣のような突起物が出ている。背中には体よりも更に巨大な羽があるようだ。それでも、天使の形状に比較的近い。奴の言う通り、今の私の高等神術でさえも、奴にダメージを与える事は出来ていない!

「もう終わりかい? 今から、私はシェイド様の体内に戻り、お前達を惨たらしく殺してやるからねぇ!」

 女が「モゴモゴ」と蠢きながら、シェイドの体内に呑み込まれていく。

「さぁ……、始めようか。エファロードよ!」

 シェイドの力が膨れ上がる! 屋上が、否、塔全体が揺れている。

「ルナー! 何なの? あいつのエネルギーは!」

 有り得ない……。神官ハーツも、ルトネックの魔の指揮官も、さっきの女も、こいつの前では塵(ちり)に等しい。今の私でさえも、遠く及ばないだろう。まともに息が出来ない。

「我は、獄界の指揮官を束ねる『司令官』である! 我は獄王様直々の命を受け、お前を殺す為に此処に現れたのだ。お前はエファロードと言えど、所詮第一段階。足らぬ力で、精々足掻(あが)くがいい!」

 シェイドが手を上に翳(かざ)し、塔の屋上に結界を張った。逃がさないと言う事か。

「エファロード、第一段階? そんな事はどうでもいい! 私は、人間の為に戦う事を決めた。幾らお前が強大な力を持っているとしても、邪魔をするなら戦うだけだ!」

 自分の中の「恐怖」を殺し、剣に精神力を集中させる。全力で走り、シェイドの胸に突きを放った! 「ズシャッ」と言う軽い音。同時に舞う、奴の突起物。掠っただけだ!

「その程度の速さで、我を捉えられると思うか?」

 シェイドの姿が消える。否、目で追えない。

「(リバレス、階段を伝って逃げろ!)」

 リバレスが真っ青な顔で首を振る。早く!

「まずは、天翼獣から死ぬがいい!」

 リバレスが狙われている! 私は彼女を片手で捕まえ、胸に抱いた。

「僕に聞いた通りだな。お前の、他人を気遣うその甘さが命取りだ」

「ブシュッ!」

 背中と腹の辺りに、鈍い痛みの感覚が広がる。奴の五指が突き刺さったようだ……

「これで『計画』の進行も、天界への侵略も容易(たやす)くなる! グハハハ……!」

 計画、侵略? そんな事より私は……、死ぬ。血を吐き、視界が暗幕に包まれていく。

「ルナをよくもー!」

 リバレスが、シェイドに神術を放っている。止めろ、逃げるんだ……

「小賢(こざか)しい奴だ」

「キャアァ……!」

 彼女が地面に叩きつけられた音が聞こえた。済まない、私と共に堕天したばかりに……

 ごめんな、フィーネ。私はもう……

「ルナさんっ!」

 生きる事を諦めかけた時、幻聴が聞こえた。

「まさか人間が来ようとは。お前は何者だ?」

 僅かに残る視界が、声の主をぼんやりと捉える。フィーネ? 声を上げようとしても、血が喉に詰まる。本当に……、フィーネなのか?

「そうか、お前がエファロードの女か。ついでに切り刻み、殺してやろう!」

 何故こんな所に来た? 後先を考えずに行動するなよ。心配するのはこっちなんだから。 だが、今はそれも愛おしかった。……彼女を守らなければ。

「待てよ、シェイド。私達の勝負は、まだ終わっていない」

「真紅の目! グッ、第二段階が発現したか」

 第二段階だろうと、何でも良い。彼女を守る為に戦えるなら!

「フィーネ、リバレスを連れて階段を下りろ!」

「はいっ! ルナさん、約束を破ってごめんなさい。どうしても心配だったから」

 彼女はキラキラ光る目元を拭い、リバレスを抱えて走る。

「フィーネ、ありがとう!」

「逃がすと思うか?」

 シェイドが、フィーネの方を向く。行かせるか!

「その余所見(よそみ)が命取りだ」

 私は、シェイドの左腕を肩から切り落とす。今の私なら、対等に戦えそうだ。

「グゥゥ……、第二段階でも我にはまだ及ばない。今度こそ、息の根を止めてやろう!」

 シェイドが大口を開き、中から赤黒い大剣を出した。私の剣の数倍の長さと太さ。

「私は負けない」

 互いの剣がぶつかり、火花が散る! 奴の攻撃は重いが、スピードはこちらに分がある。

 シェイドの剣を紙一重で躱し、胴体に斬撃を入れる。奴は、敢えて斬撃を受け私を蹴り上げる。そんな応酬が続いた。

 私も奴も傷だらけだ。次で決める! 私が剣を構えると、シェイドは宙に浮き上がった。

「お前は空を飛べない。これで終わりだ。究極魔術『獄闇(ごくおん)』!」

 塔の上空から光が消えた。まるで巨大な闇のカーテンだ。これに包まれれば、私もフィーネ達も闇に毒され死ぬだろう。防ぐ手段は唯一つ!

「究極神術、『神光(しんこう)』!」

 私を中心に、光の球体が拡大する! 闇を拭い去れば私の勝ち。闇に呑まれれば負けだ。

「ウグググ……、エファロードが!」

 獄闇の圧力が増す! 光が収縮していく。このままでは負ける!

 真っ向勝負が好きだが、この場合は綺麗事など言っていられない。賭けに出る!

 私は神光を止めた。そして、自分をシェイドの頭上に「転送」させる。剣に、力と全精神力を乗せて……、振り下ろした!

「何だとぉぉ……!」

 剣が右肩から入り、左腰で抜ける! 奴の獄闇が消えた。勝った!

 私は、上手く着地出来ず、その場に倒れた。

「ルナさーん!」

 フィーネが駆け寄り、私を抱き起こす。

「ありがとう。君が来てくれたお陰で、奴を倒す事が出来た。……リバレスは?」

 彼女はシェイドの一撃を喰らった。早く治療しなければ!

「やっほー!」

 奇妙な掛け声と共に、リバレスがフィーネの背中からひょこっと現れた。

「リバレス、無事だったのか!」

「わたしは気絶しただけよー。それより、フィーネはよく来れたわねー」

 リバレスがくるっとフィーネの方を向く。

「はい……。私、ルナさんの事が心配で心配で。馬に乗って追いかけました。それで、塔の入り口には魔物が沢山居たので、森で爆薬を爆発させて、注意を逸らせてから塔に入ったんです」

 何という無謀さと行動力。感心を通り越して、呆れてしまった。

「さて、この兵器と塔を封印して帰ろう」

 私は、南西を向いている兵器の下に潜り、封印装置を探す。随分狭く、身動きするのも一苦労だ。目当てのものを見付けたと同時に、遠くの床の上で何かが蠢いた。

「死ネェェ……!」

 シェイド! 口から、矢のようなものを発した! 此処では避けられない!

「キャァァ!」

 一瞬、何が起きたか解らなかった。矢は私に当たっていない。私は兵器の下から這い出た。床には血溜まり!

「フィーネ!」

 彼女が、私の代わりに矢を受けたのだ! フィーネが血溜まりに崩れ落ちる。

「貴様ぁぁ!」

 私は、シェイドに走り寄り、頭を叩き割る!

「ギィィエァァ!」

 不快な断末魔を聞きながら、私は奴の全身を炎で焼き払った。

「フィーネッ!」

 胸から鮮血を流すフィーネを、私は抱き起こす。治癒を施すが、出血が止まらない!

「ふふ……、あなたを守れて良かった」

 彼女の口から血が溢れる。私はそれを懸命に拭う。

「フィーネのバカー! 何でそんな事をするのよー」

「ごめんなさい……。でも私は……、ね、ルナさんにどうしても、恩返しがしたかったんです。あなたは……、無鉄砲で我儘(わがまま)な私なんかの為に、戦ってくれた。だから私は……、安心して……」

 彼女の体から、体温が失われて行く……! 嫌だ。絶対に嫌だ! 幾ら治癒に全力を注いでも、フィーネの可愛らしい顔から血の気が引いて行く……

 君は、どうしてこんな時に微笑んでいられる?

「ルナさん……、あなたに会えて良かった。今しか言えないから……、言わせて下さい。私は……、あなたが大好きです」

「フィーネ、フィーネ!」

「ごめんなさい……。せっかく買ってくれた服が……、台無しですね」

 彼女は目を閉じた。

 私は……、君に返事をしていない! 私も君が……

「うわぁぁ……!」

 頭の中がグチャグチャに歪む。彼女の手の冷たさを感じた瞬間、頭の奥底から「意識」が生まれ、私の意識を支配し始めた。

「私の名は、『ルナリート・ジ・エファロード』。万物を超越する力を以って、この者に祝福を与える」

 何だ、この言葉は? 「私」が勝手に喋った。しかも、自分の背中に光で編まれた翼が生えている。だが「私」は本来の私の一部、素直にそう思える。

「禁断神術『蘇生』」

 制御出来ない「私」が、フィーネに手を翳した。すると彼女の傷は塞(ふさ)がり、瞬く間に温かみを帯びて来る!

「あれ……? 私は目の前が真っ暗になって、死んだと思ったのに」

 フィーネが目を覚ました! 「私」が、私に戻る。私は彼女を抱き締めた。だがその時、塔が揺れ始めた。封印装置が作動したのだ。この塔はもう直ぐ崩壊する。喜びは後だ。

「フィーネ、リバレス。しっかり掴まってるんだぞ」

 私は二人を抱え、光の翼で飛び立った。

 夥多(かた)なる星の揺り籠へ。

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