第十五節 相違

「さぁ、着いたぜ! お……、俺は帰るからな!」

 船長はルナ達を下ろした後、直ぐに帆を張った。

「待てよ!」

 ルナの叫びを無視し、船は遠ざかる。仕方無く村へ向かおうとすると、「ピカッ」と目の前を閃光が奔った。背後で、「ドーン」という轟音が響く。

 振り向くと、船が燃えていた。瞬く間に、船は海底に沈んで行く。

「魔の攻撃だ!」

「船長さーん!」

 フィーネは沈む船に叫び、一瞬呆然(ぼうぜん)としたかと思うと、今度は村の中に駆け出した。

「待つんだ!」

 絶対に一人で行かせる訳にはいかない。私は本気で走り、フィーネの腕を掴んだ。

「隠れるぞ!」

 背筋が凍る程の殺気! 私はフィーネと共に物陰に隠れる。リバレスも元の姿へ戻った。

「クックック。後はお前達二人だけだぁ! どう殺すか……。皮剥(かわは)ぎ、串刺し、八つ裂き?」

 道端に転がる骸(むくろ)、瓦礫(がれき)と化した家々。此処はもう村じゃ無い。廃墟(はいきょ)だ。

 漆黒の体に黒光りする翼を持つ魔。形状は天使にそっくりな魔が、今正に最後の住民を殺そうとしている。若い母と、幼い子供を。

「どうか、どうか! 私はどうなっても構いませんから、この子の命だけは!」

「さて、どうしようかなぁ?」

 魔は腕組みをして、平伏す母親を見下している。その時、フィーネが猛然と駆け出した。

「待ちなさい!」

「馬鹿! どうして、先を考えずに行動するんだ!」

 私は物陰から出られない。足が……、竦む。

「お、まだ生き残りが居たか。そう急がなくても、後で殺してやるから!」

 魔が掌をフィーネに向ける。その直後、フィーネは五m後ろの瓦礫へ弾け飛んだ。

「フィーネ! ルナ、助けに行かないの?」

「待て、リバレス! あの魔は強大だ。作戦を練らなくては」

 震えと、冷たい汗が止まらない。作戦など無駄だ。力が違い過ぎる! 例え堕天前の私でも、歯が立たないだろう……。死ぬのが怖い。

「邪魔が入ったが、お前の言う通りにしてやろう」

 ニヤリと不気味な笑みを浮かべる魔。何を考えている?

「それでは、子供は助けてくれるんですね?」

「ああ……。子供から殺してやるよ!」

 魔が掌を子供に向ける! 途轍(とてつ)も無い冷気。子供は、凍り付き砕け散った。

「うわぁぁ……! 殺してやる!」

「いいねぇ、その怒りに狂った顔。そんな奴を殺すのが俺の楽しみなんだよ!」

 魔は突進して来た女を躱し、炎を放つ!

「ぎゃぁぁ……」

 女は燃え尽きた。灰すら残っていない……。何て魔力だ。

「殺すって言うのは、強い者だけが行える愉しみなんだぜ!」

「うぅ……。何て事を! どうして魔物はそんなにも残酷に人を殺せるの? 私達が何をしたのよ!」

 女の居た場所に唾を吐く魔。フィーネは、魔に詰め寄り叫ぶ。危ない!

「娘、待たせたなぁ……。次はお前の番だ!」

 魔の掌に力が集約される。止めなければ!

「中級神術『天導雷(てんどうらい)』!」

 天を裂く雷撃が魔に直撃する!

「グッ、誰だ!」

 無傷か……。だが、出て行くしか無い。フィーネを助ける為には!

「屑(くず)が……。それ以上の愚行は、見過ごす訳にはいかない!」

 私は剣を抜き、切っ先を向ける。体が震えるが、気付かれないようにせねば。

「フッ……。やっと来たか。待っていたぞ、堕天使ルナリートよ!」

「何故、私を知っている?」

「貴様の存在は既に知れ渡っている。それより何故、堕天使が人間の味方をする? 愚鈍(ぐどん)で不要な人間は、神が勝手に造ったものだろうが。それを、俺達が殺して何が悪い?」

 私もそう思っていた。実際に人間に、フィーネに出会うまでは。

「確かにそうだ。だが、人間は神の干渉を受けず、自分の意思で生きている。天界に誕生する資格が無い魂から生まれるという点以外では、私達と何ら変わりは無い! 自分の意思で懸命に生きる生命を無意味に奪うな」

「クククッ……。本当にそう思っているのか? どうやら貴様(きさま)等(ら)天界の住人は、『人間』の真の存在理由を教えられていないらしい。神が教えるのは、歪んだ歴史のみか……。人間は、決して『神の戯れ』などで創られたのでは無い。完全な計算の元で創り出された、天界の副産物ということだ!」

 副産物? 何が真実で、何が偽りなのだ。

「……どういう事だ?」

「貴様が知る必要の無いことだ。俺が此処に居るのは、貴様を消す為。人間の抹殺に、堕天使の力は邪魔だからな。貴様が倒した魔は、低級魔と中級魔。俺は、中級魔の二階級上の『指揮官』だ。貴様には万に一つも勝ち目は無い!」

 魔の力が更に増幅する! 逃げるしか無い。

「(フィーネ、リバレス! 私に勝ち目は無い、逃げるぞ!)」

 私は魔から飛び退き、フィーネを抱える為に走る。だが、魔の指先から漆黒の矢が三本放たれた。矢は正確に、全員を狙っている!

「クッ……!」

 リバレスは上手く避けたが、私には二本の矢が右大腿と左上腕に刺さった。フィーネを庇(かば)ったからだ。

「ルナ!」

「ルナさん!」

 二人の叫びが谺した。痛みで意識が少し朦朧(もうろう)とする……

「大丈夫だ。(それより、私が隙を作るから逃げるんだ!)」

 二人が頷くのを確認し、私は力を振り絞る。

「高等神術『滅炎』!」

 直径五m程の、炎球が魔に炸裂する。今だ!

 私達は同時に、魔と反対方向に駆け出した。途中、足の痛みを堪えフィーネを抱える。二百mは遠ざかっただろう。だが、私達は足を止めた。魔が……、先回りしていたからだ。

「敵前逃亡とは無様だな! だが、この俺から逃げられる訳がないだろう?」

 無傷で、私を嘲(あざけ)り笑う魔。もう……、駄目だ。

「待って下さい! どうか、二人は助けて下さい。悪いのは私なんです。人間を助けて欲しいって頼んだから。殺すなら私だけにして下さい! お願いします」

 跪き、魔に懇願するフィーネ。屈辱だろう……。私が不甲斐無(ふがいな)いばかりに! 目の前が真っ赤になる。鼓動と呼吸が早まる。この感覚は……

「却下だ。だが、そんなに死にたいのならお前から燃やし尽くしてやろう!」

 魔の掌に魔力が集まる。凄まじい魔力。気温が上昇し、大地が揺れている。こんな魔術を受ければ、フィーネは即死! 私を助けてくれた彼女。人間を愛し、世界を愛し、喜び、悲しみ、幸せを求めて生きている彼女が焼き尽くされる……

 嫌だ! 私はフィーネを失いたく無い!

 ルナの髪が銀色に変わり、力に溢れる。傷は瞬時に完治した。

「死ね!」

 魔から炎が放たれる……が、ルナは炎の前に立ち塞がり、その炎を掻き消した。その素早さと力強さは、指揮官である魔を凌駕(りょうが)する。

「待てよ、お前の相手は私だろう?」

 私は剣を振り下ろし、魔の両腕を断ち切る。まるで紙を切るように手応えが無い。

「グアァッ……。何だ、その力は? その髪……、まさか貴様は」

 私が何かなど、どうでも良い。お前は、もう死ぬんだ。

「エファロード?」

 エファロードだと。神も同じ事を言っていた。

「第一段階『銀の髪』。まさか、そんな筈は無い! これでも食らえ、地獄の業火(ごうか)だぁ!」

 魔の口に集約される力。さっきの数倍はあるだろう。だが、今の私には無力だ。

「究極神術『光膜』」

 私達三人を、超高密度の光る膜で覆う。魔の炎は膜に弾かれ、全く届かない。反撃だ。私は、高等神術「絶対零度」を放った。

 氷が魔を包み込み、聳(そび)え立つ氷山となった。私は、剣で氷を割り魔の元へゆっくりと近付く。魔は身動き一つ出来ない。

「……殺せ。俺は貴様に勝てない」

「殺す前に一つ質問する。エファロードとは何だ?」

「その力と『銀の髪』が、第一段階である証拠だ。『真紅の目』が発現すれば、貴様の力は更に十倍になる。貴様は今後、『司令官』や『側近』に狙われるだろう。幾らエファロードでも、『あの方達』には勝てない。クククッ……。さぁ、殺すがいい!」

 真紅の目? 神官と対峙した時には確かにそうだった。だが、段階とは何だ?

「お前の知る事を、全て教えるんだ!」

「貴様如きがエファロードなら、この世界は『獄王様』の物だ! クハハッ……」

 その瞬間、「ドォォン」という爆音と閃光を放ち、魔は自爆した。

目次

第十六節